NPO法人 愛媛がんサポート おれんじの会

NPO法人愛媛がんサポート おれんじの会は、主に愛媛県内のがん患者と家族、その関係者が集う会です。

NEWS

終わって、また始まって…

2012年3月20日 10:12 PM

年度末の目の回るような忙しさが、きょうで一段落。
体調不良も何とか乗り越え、たどり着きました。

あす開かれる愛媛県がん対策推進委員会が最後の山です。
来年度のがん対策、そして国の計画変更を受けての県の計画見直し作業へ向けての大事な会議です。

気がつけば、机の上には処理をしなければならない書類の山。
はあ~。

ともかく、きょうは閉店。

 

国のがん対策

2012年3月2日 6:29 PM

3日間の東京出張。
雪が降り、地震が2度あり、今日は冷たい雨でした。

今回の目的は、がん対策推進協議会への出席です。
次期「がん対策推進基本計画」の策定を進めてきましたが、ようやく内容がまとまり、昨日の協議会で小宮山厚生労働大臣に答申しました。
ニュースはhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120301-00000005-cbn-soci

新しく盛り込まれることになった項目の主なものは
・働く世代や小児へのがん対策の充実
・がんになっても安心して暮らせる社会の構築
・医薬品・医療機器の早期開発・承認等に向けた取組
・がんの教育・普及啓発
・がん患者の就労を含めた社会的な問題

「救えるいのちを、救う」「病気と共に生きる患者・家族を支える」という、私たちの思いを反映させた内容です。

現在の協議会の委員20人のうち、患者・家族は5人です。
過去の患者関係委員の中には、すでに旅立った方が3人。
医療者がずらりと並ぶ会議の場で発言するのは簡単な事ではありません。
その道筋をつけてくださった先輩委員のみなさんの努力があり、また委員でなくとも関係機関へ働きかけを続けた方々の力があっての「がん対策推進基本計画」です。

今後、広く意見をきくパブリックコメントなど必要な手続きを経て閣議決定されることになります。

パブリックコメント募集について日程が決まりましたらご案内しますので、ぜひ多くの意見を出していただきたいと思います。

 

やさしさについて考える

2012年2月21日 11:05 PM

ツイッターで気になるつぶやきを見つけました。

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薬のように効果のあるものには大抵副作用もある。
誰かへの親切ややさしさも時にそうだ。
大切な人には、つい今持てる全ての力を捧げたくなるが、それが結果的に相手を苦しめ遠ざけてしまうこともあり得る。
今だけでなくずっと力になり続けられるように、その時々で何ができるか冷静に考えることも大切だ。

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精神科のドクターのつぶやきでした。
肝に銘じたいと思います。

 

人生の仕上げの時に

2012年2月19日 10:22 PM

ある方のお通夜に行ってきました。

お経が終わったところで、お坊さん(という呼び方は失礼なんでしょうか?)から、少しお話がありました。

もともと亡くなった方と親しいお付き合いがあったようで、思い出話と、「見送る」ことの意味について話してくださいました。

儀式の時にお経をあげるだけの関係ではなく、こうした話ができるのはいいものだなぁと思いながら聞かせていただきました。

かかりつけ医に似ているような気がします。

人生の仕上げのときに、自分をよく知ってくれている人が側にいて支えてくれること。
それはとても幸せなことだと思います。

 

患者?経験者?

2012年2月18日 9:58 PM

松山でも雪のちらつく寒い一日でした。

10年前に乳がんの手術を受けた仲間から、リンパ浮腫のような症状があらわれてきたと連絡がありました。

10年経っても、やはり自分は「患者」なのだと痛感したと。

ある会議の場で、「患者」の定義について議論になったことがありました。
治療後5年経って再発がなければ、もう「患者」ではなく「経験者」なのか?
どういう状態になれば「患者」でなくなるのか?
そもそも線引きできるものなのか?

20代でがんと向き合ったランス・アームストロングは、がん患者を支援する自らの財団のマニフェストでこう書いています。
「あなたの体からがんが消えることがあっても、あなたの人生からがんが消えることはない」

5年経とうが、10年経とうが、経過した時間に関係なくがんという病気が、その人の人生に影響を与えることがあります。
身体的なことはもちろん、精神的な事や、仕事やさまざまな社会的問題などです。
例えば小児がんであれば、治療後長い年月を経て現れる後遺症の問題が指摘されています。

こうした課題への取り組みの充実が求められています。

 

出張先にて

2012年2月15日 10:07 PM

きょうは徳島へ行ってきました。

仕事先でお目にかかった男性は、私とほぼ同年代。
同じ33歳のときに、がんが見つかり治療を受けていたことがわかりました。

当時はインターネットの情報にも限りがあり、図書館へ行っても専門書ばかりだったことや、現在のような制吐剤がなくずいぶん辛い思いをした事など、共通点を語り合いました。

こういう出逢いはうれしいものです。

お互い、元気でいましょうね。

 

胃ろうから考える

2012年2月7日 9:52 PM

ある政治家の胃ろうをめぐる発言が波紋を呼んでいます。
この発言のあったテレビ番組を、昨日偶然見ていました。

母の最期が思い出されました。
食事が取れなくなったときに、胃ろうを選択するかどうか尋ねられました。
母とは、元気な時に終末期のことを十分に話し合い、経管栄養を含め一切の延命措置をしないことを確認し文書で残していましたので、胃ろうも断りました。

でも、本当に一口も受け入れなくなったときに迷いが生じました。
「私は母を殺そうとしているのではないか」

結局、母は最低限の輸液だけで4カ月を過ごし枯葉が枝を離れるような自然な最期となりました。

母の選択を尊重したのだという確信はありますが、それでも死期を早めたのではないかという後悔も、未だ残っています。

家族とはこんなふうに揺れるものではないでしょうか。

ちょうど先月末に、日本老年医学会が高齢者の終末期についての考えを取りまとめ発表しています。
http://www.jpn-geriat-soc.or.jp/tachiba/jgs-tachiba2012.pdf

この中で「本人の満足」「家族ケア」「死の教育」などに言及しています。

高齢社会を生きる私たちがしっかり考えていかなければならない問題です。

 

聴す

2012年1月28日 11:12 PM

庭の白梅。
よ~く見ると、蕾がほんの少しふくらんでいました。
底冷えの寒さが続いていますが、間違いなく季節はめぐっていくことを感じさせてくれます。

さて、きょうの題名「聴す」
なんと読むでしょうか?

答は「ゆるす」
先日の今治のサロンのときに、臨床心理士の方が教えてくださいました。

三省堂の大辞林によれば、「聴す」とは…
『願い、申し出などを聞きいれて、願いどおりにさせる』の意味があるそうです。

病気に向き合う人の側にいる者として、深く胸に刻んでおきたいと思います。

 

済生会今治病院サロンスタート

2012年1月26日 9:45 PM

済生会今治病院へ行ってきました。

ファイル 863-1.jpg

改修工事が進み、外観も内部もすっかり様子が変わっていました。

ファイル 863-2.jpg

相談支援の窓口も大きく変わりました。
なんとなく薄暗いのは節電対策だそうです。
利用者のために、ここだけは明るくしてほしいと注文させていただきました。

今回の改修に合わせて「患者サロン」というスペースが新設されました。
日頃は、がんに限らず病院を利用する患者・家族のために開放されています。

きょうは、ここで初めての「がん患者・家族のためのサロン」が開催されました。

ファイル 863-3.jpg

十数人の方が参加していました。
「こういう場を待っていた」
「笑える場所にしてほしい」
中には、ご家族を見送った悲しみを抱えて参加した方もありました。

次回開催日は未定ですが、病院としては定期開催に向けて準備を進めるということでした。
それぞれが負っている大きな荷物を、一時でも下ろして誰にも遠慮なく語り合える場所になりますように。

あすは松山赤十字病院でサロンがスタートします。
午後3時から、健康管理センターで開催。
どなたでも自由に参加できます。

 

患者がすべきこと

2012年1月25日 9:46 PM

ここのところのいくつかのご相談で、共通して感じたこと。
それは、患者にもすべきことがあるということです。

自分の治療の経過。
どういう治療を、いつ受けたのか?
どういう検査を受けてその結果はどうだったのか?
服用している薬は何か?

自分の体調の変化。
不調はいつごろからか?
どこが、どういうふうに、いつ頃変化したのか?
薬を飲んだらどうだったのか?

自分のカラダに起こっていることに対して、あまりにも無頓着というか、厳しい言い方をすれば無責任でいて、「医者は気付いてくれない」「もっと説明をしてほしい」と言うのはいかがなものかと思ってしまいます。

以前、ある患者会のリーダーがこう言っていました。
「自分の病歴、体調の変化についてA4サイズの紙1枚にまとめられること、5分で説明できること。そういう訓練を、日頃から患者もしておかなければいけない」

もちろん、副作用の厳しい治療の最中には無理です。
しかし、病状が落ち着いているときに、そういう”訓練”をしてみることは大事だと思います。
患者にも、家族にもすべきことがあります。

 

 
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