NPO法人 愛媛がんサポート おれんじの会

NPO法人愛媛がんサポート おれんじの会は、主に愛媛県内のがん患者と家族、その関係者が集う会です。

NEWS

逃げ出さず放り出さず

2010年7月25日 9:35 PM

患者会活動は、絶望との闘いでもあります。

結局何もできないと思い知ることの繰り返しです。

でも、だからと言って逃げたり放り出したりはできないのです。

私たちの仲間は、みんな病気から逃げ出せず放り出せず、向き合って生ききっているんですから。

 

ただいま~

2010年7月24日 8:45 PM

大分から福岡へ200㎞。
福岡から空路戻ってきました。
いやぁ~長い旅でした。

今回は『働き盛りのがん』というテーマで各地でお話をさせていただきました。
どの会場にも、帽子をかぶった治療中と思われる方の姿がありました。
個別にお話をする機会はありませんでしたが、どうか一日も早く少しでも楽に治療が終わりますように。

戻ったら、先日の新居浜市での講演の感想が届いていました。
その場での検診申し込みが20人を超えたそうです。
ご自身のカラダに関心を持っていただけてよかったです。

でも、もっと嬉しかったのは、治療中の方が「勇気を持てた」と書いてくださったことでした。

今夜は育ての父の畑で採れたばかりの野菜の天ぷらとおそうめんの差し入れをいただきました。
出張中、コンビニ食が続いた身体に栄養と愛情が沁みわたるようです!

長旅を無事終えられたことに感謝しつつ、きょうは早くやすみます。

 

そして大分へ

2010年7月23日 9:51 AM

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宮崎県庁です。
東国原知事登場の頃、テレビでよく見かけていた県庁舎。
実際に見てみると、趣のある建物でした。
南国らしい植物もいっぱい。
駅、ホテル、仕事先、そして県庁を一目見ただけでまた移動です。

今度はJRで大分へ。
3時間はきつかったですね~。

人並み外れて地理が不得手な私。
改めて九州地図を眺め、これまでの移動距離を辿ってみました。
鹿児島から宮崎が125㎞。
宮崎から大分が207㎞。
こんなに移動したんだ…。
そりゃぁ肩も背中も腰も痛くなるわけよね。

せっかく大分に来てるんだから温泉にでも入ってのんびりしたい…湯布院ってどっちの方向?と地図を眺めるだけなのでした。

 

宮崎です

2010年7月22日 8:18 AM

宮崎です。
鹿児島からJRで2時間。
どんな風景なのかなぁと期待しつつ乗車しましたが、すぐにZzz…。
気がつけば、もう宮崎駅でした。

街のあちこちに「がんばろう 宮崎」の文字。
口蹄疫の問題は、かなりの打撃を与えているようです。
タクシーの運転手さんも、人の動きが減ったと話してくださいました。

高校野球県大会は無観客試合。
ホテルの入り口にも消毒マット。
まだまだ対策は続いています。

そして、畜産業の復活には年単位の時間がかかると聞きます。

「牛を殺処分した方は、夢を見るそうですよ…」と言っていた運転手さんの言葉が耳に残っています。

がんばろう 宮崎!

 

鹿児島にて

2010年7月21日 8:57 AM

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噴煙を上げる桜島です。
昨日梅雨明けを迎えた鹿児島です。
汚れてる車が多いなぁとボンヤリ眺めていたのですが、そうか!これは桜島からの灰なんですね~。
テレビの天気予報でも「桜島の風向き」という項目がありました。
それを見て、洗濯物を外に出すかどうかを決めるそうです。
それにしても、桜島って鹿児島市のすぐ目の前にあるのでビックリ!

そんな鹿児島でも、患者・家族のパワーで頑張っているところがあります。
がんサポートかごしまです。http://www.gan-support-kagoshima.com/
昨日、事務所へお邪魔してきました。
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鹿児島県民総合保健センターの中の1室が事務所兼サロンです。
毎週2回サロンが開かれていて、毎回部屋がいっぱいになるほどの参加者があるそうです。

部屋は広いとはいえず雑然とした感じがありますが、なんともいえずあたたかい。
ゆったりした気分になります。
それは、ここを支えているスタッフの心なんだと思いました。

「地元の患者さんのために!」と繰り返し話すMさんは乳がんのサバイバーです。
27歳、まだ子どもさんが1歳になる前にがんが見つかったMさん。
子どもの成人式が目標だとおっしゃっていました。

鹿児島でのあたたかくパワーあふれる出会いに力をもらった一日でした。

 

マザーテレサの精神を学んだ医学生

2010年7月20日 10:21 AM

マザーテレサが遺した「死を待つ人の家」については、多くの方がご存知ですね?
この施設に日本の医学生を派遣し、ボランティアとして働く中でマザーの精神を学んでもらおうという取り組みをしている団体があります。
NPO法人「風に立つライオン」です。
詳しくはhttp://www5.synapse.ne.jp/lion/

この取り組みに、愛媛大学医学の学生が参加しました。
体験談を聞く会が、あす開かれます。
7月21日(水)午後6時~ 愛媛大学医学部付属病院1階会議室です。
(場所はちょっとわかりにくいですが、1階のあちこちに案内版が出ます)
参加は無料で、どなたでも参加できます。

これは、大学病院で去年から行われている医療者と患者・家族の「学び合いサロン」の一環として開かれます。

若い医学生はインドで何を見て何を学んできたのか、多くの方々と共有したいものです。

ちなみに、「風に立つライオン」というのは、さだまさしさんの歌のタイトルです。
日本から遠く離れた地で医療にあたる医師の思いを歌った曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=VyaWPCojkpk

 

晴れたり曇ったり

2010年7月18日 10:22 PM

梅雨明けして、久しぶりに洗濯機のフル稼働!
スッキリ乾いた洗濯物の香りは幸せな気分にしてくれます。

忙しさを言い訳に、必要な定期検査を怠っています。
眼科もその一つ。
網膜裂孔という既往歴があるので、本当は半年に一度の検査が必要なのですがキャンセルして5カ月。
マ、マズイ。
昨日久しぶりに受診してきました。
幸い異常なし。
気分は晴れマーク☀

そしてきょうは、ある集まりで私の経験をお話してきました。
当時の日記の一部を披露しながら心の変化を中心にお話をしました。
正直、疲れました…。
11年経っていても、あの時のどうしようもない不安や恐怖が日記の中から甦ってきます。
そんなわけで、ちょっと曇り☁

夜、相談の電話。
一度ご相談をいただいた方から、再度のご相談でした。
「この前に相談の電話をしてゆっくり話を聞いてもらってから食欲が戻って夜も眠れるようになりました~」という嬉しい一言をいただきました。
また気分は☀

 

ふつうの暮らし

2010年7月17日 10:32 PM

毎週続いている出張の疲れが取れません。

しんどいなぁ。
一日でいいから、何にも考えずに寝てられたらなぁ。
休みたいなぁ。

でも…。
11年前、病院のベッドで何を考えていたっけ?

仕事がしたい。
スーパーに買い物に行って食事を作りたい。
洗濯して、掃除して、夜になったら疲れ果てて眠りたい。
ただ、ふつうの暮らしがしたい。

与えられているものをひとつずつ数えてみれば…
感謝、感謝です。

 

いのち

2010年7月16日 10:02 PM

昨日福岡で講演後、大阪へ回って一泊。
きょうは、関西学院大学で死生学を教えていらっしゃる藤井美和先生の講演を聴いて帰ってきました。

藤井先生は、授業の中で学生に「一人称の死」つまり自分自身の死を疑似体験するワークショップを行っています。

小さなカードに、自分が大切だと思っているものや人などを書き出します。
携帯、お金、アルバム、親、友人、感謝する思い、信仰、思いやり…などさまざまなものが並びます。
そこで、若くしてがんで亡くなった人の日記の朗読が始まり、病気が進む段階に合わせて、学生に、大切なものを書いたカードを1枚ずつ破り捨てさせます。
そして最後、日記の最後の場面で、学生の手元からカードは全てなくなってしまうという設定です。

学生たちは、疑似体験とはいえ厳しく自分を見つめなおす作業の中でさまざまな事を学びとっていくそうです。

大切なものはなんでしょう?
いのちとは何でしょう?
生きるとは、死ぬとは?
私も改めて考える機会を得た講演会でした。

帰りついて夜のニュースをみると、あすから施行される「改正臓器移植法」のことが伝えられていました。
いのちについて、多くの人が向き合うキッカケになるといいのですが。

 

手術記念日

2010年7月14日 11:04 PM

きょうは新居浜市へ行ってきました。
新居浜市保健センターが主催する「ヒーリングコンサート」の第一部でお話をさせていただきました。
メインは地元出身のピアニストの方のコンサートで、雨にもかかわらず500人の会場はほぼ満席でした!
コンサート前の私の話にも、うなずきながら聞いてくださる方の姿も見えました。
その場で検診の申し込みをしてくださった方もあったようで、少しは役目を果たせたかな、と思っています。

さて、きょう7月14日は、私の手術記念日です。
11年前1999年のきょう、子宮を摘出する手術を受けました。

夜になって痛み止めが切れて、ずいぶん辛い思いをしました。
「もう痛み止めは出せないんですよ。少しは我慢してくださいね!」と仁王立ちになった看護師さんから叱られた記憶が甦ってきます。

いまでこそ術後の痛み止めは十分に使ってもらえるようになりましたが、当時は最小限で済ませるという考えのドクターが少なくない時代でした。

手術さえ受ければすぐに退院、職場復帰できるものと思っていたのに、結局足かけ5か月の入院生活が続くことになります。

まさか11年後に、こんな活動をすることになるとは思わないで、ベッドの上で必死に痛みと闘っていた自分を思い出しています。

 

 
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