胃ろうから考える
2012年2月7日 9:52 PM
ある政治家の胃ろうをめぐる発言が波紋を呼んでいます。
この発言のあったテレビ番組を、昨日偶然見ていました。
母の最期が思い出されました。
食事が取れなくなったときに、胃ろうを選択するかどうか尋ねられました。
母とは、元気な時に終末期のことを十分に話し合い、経管栄養を含め一切の延命措置をしないことを確認し文書で残していましたので、胃ろうも断りました。
でも、本当に一口も受け入れなくなったときに迷いが生じました。
「私は母を殺そうとしているのではないか」
結局、母は最低限の輸液だけで4カ月を過ごし枯葉が枝を離れるような自然な最期となりました。
母の選択を尊重したのだという確信はありますが、それでも死期を早めたのではないかという後悔も、未だ残っています。
家族とはこんなふうに揺れるものではないでしょうか。
ちょうど先月末に、日本老年医学会が高齢者の終末期についての考えを取りまとめ発表しています。
http://www.jpn-geriat-soc.or.jp/tachiba/jgs-tachiba2012.pdf
この中で「本人の満足」「家族ケア」「死の教育」などに言及しています。
高齢社会を生きる私たちがしっかり考えていかなければならない問題です。